このコーナーでは、伊達政宗(仙台藩)の歴史本などには登場しないちょっとトリビアな話題を紹介します。
◎政宗は日本で始めて味噌を工業生産した
時は1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、伊達政宗が浅野長政等と共に朝鮮に渡り蔚山で戦った時、他藩の味噌は夏期に腐敗してしまったが、仙台藩の味噌は少しも変質せずしかもおいしかったので、一躍評判となったと伝えられています。
そもそも”仙台味噌”は、藩が軍用のために苦心して作ったものであり、政宗は仙台城築城の際、城内に「御塩噌蔵(ごえんそぐら)」を設けて兵糧用の味噌を作らせたのでした。 この御塩噌蔵は現在の仙台二高の東側「川内大工町」にありました。
その後、仙台味噌は江戸大井の下屋敷でも醸造されるようになり、江戸市民にも払い下げられるようになってますます仙台味噌の名が高まったそうです。 そのおいしさの秘密は仙台の食べ物コーナーにてどうぞ!
◎江戸時代の”仙台時間”
いま、仙台時間と言いますと、約束の時間に遅れたときに”仙台時間だから”などと言い訳しちゃうわけですが、江戸時代にも仙台ならではの時間の言い方があったのです。
それは、日の出前の「明六つ(あけむつ)」と日の入り後の「暮六つ(くれむつ)」という時間を表す言葉です。仙台藩の藩主は代々陸奥の守(むつのかみ)だったので、”むつ”という言葉は使ってはならんということで、仙台では明六つを明半時、暮六つと暮半時といっていたということです。
*解説
『大江戸テクノロジ−事情』によると、江戸時代は、日の出前の薄明るくなった時を、明六ツ、日没後の夕闇がせまるたそがれ時を暮六ツと呼んで昼夜の境目とし時刻の基準にし、そして、明六ツから暮六ツまでの昼の時間と、暮六ツから明六ツまでの夜の時間をそれぞれ六等分して、一日を十二刻に分けたそうです。明六ツの次が五ツ、四ツと減っていくが、四ツの次は急に九ツ〔正午〕になり、さらに八ツ、七ツ、暮六ツ、五ツ、四ツと進んで、また急に九ツ〔真夜中〕になってから、八ツ、七ツ、明六ツと進む。ですから、考えようによってはすごくわかりやすい時刻ですよね
◎伊達藩の参勤交代
昔歴史の教科書で習った江戸時代の参勤交代。 いったい伊達藩では何人の侍が、何日かけて、どのように江戸まで歩いていったのでしょうか?
いろいろと調べてみると、伊達藩の場合、人数はだいたい800人〜1000人。テレビでよく見る 「下に〜〜下に」 と行列を作って歩くのは城下だけで、あとは三々五々(3人、5人というように少人数で歩く様子)で連れたって歩いていたようで、江戸までの距離93里(約350キロ)をだいたい8泊9日で歩いたようです。 この計算でいくと1日にだいたい40キロ歩いたことになりますよね。 昔の人って健脚だったのですね。
面白いのは、参勤交代のときには食料を持って歩いたのはわかるのですが、お風呂も持って歩いたそうです。 宿泊地には1ヶ月前に先触れがあり、そこで自炊していました。 そこで泊まったお礼にお金を渡し、宿泊地(本陣)ではそこの名物などを藩に献上していたようです。
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