今の県庁の所に養賢堂(仙台藩の藩校)があった当時、西北角に火の見櫓があって郵便局北向を櫓下(やぐらした)と称した。 そこに住む鉄砲鍛治芳賀某の子、四郎は白痴で櫓下の四郎とも四郎馬鹿(シロバカ)とも呼ばれた。 とんがり頭でデップリと肥え、唖同様にバャンバャンというだけ、人に仇することもなく、いつもニコニコして市民から福の神といわれた。 もじりどてら姿に大きな袋を首にかけて前に下げ、もらい物を入れた。 四郎が立ち寄った店は必ず繁盛するといわれ花柳界では大もてだった。 反対にいくら手まねで呼んでも見向きもしない店は遠からず倒産したり左前になった。 どこの店も四郎が物を買っても銭は取らず汽車も無賃であった。 明治の末、福島県須賀川で死んだという
三原良吉「仙台あのころこのころ八十八年」より
彼が立ち寄った店は必ず繁盛したと伝えられていることから、唯一生前に撮影されたドテラに縞模様の半てん姿、にこやかに腕を組み正座した坊主頭の四郎さんの写真は仙台の飲食店で千客万来の福の神として珍重されており、実際に仙台でお店に入るとよく見かけます。
四郎馬鹿にまた逢う街のおぼろかな 保田二郎
真夏でもシロバカどてら着て歩き 添田星人
このような句も残されているほど、仙台四郎は明治時代の仙台人にとっては愛すべき存在だったようです。 もしかしたら私のひいおじいさんも現在の五橋に住んでいたので会っていたかもしれませんね。
今、仙台四郎グッズは街中アーケード街クリスロードの三瀧不動院 と 民芸品と工芸品の店しまぬき で取り扱っています。 商売繁盛のお守りにいかがでしょうか。
招福 開運 「仙台四郎」さん 色紙額
仙台四郎について書いた本
◎福の神になった少年 丘修三 作
明治という時代を背負いながらも純真無垢な子供のように自由気ままに思うように生きた四郎さんを鮮やかに描いています。 管理人おすすめの書。 今年の夏には映画にもなるみたいですよ。
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